映画「永遠の0」は実話?ラストの笑みはどういうこと?考察・感想

映画
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2013年に公開された岡田准一さん主演の映画

「永遠の0」

「生きて帰りたい」と戦場でずっと願っていた、零戦パイロット宮部久蔵の物語です。

この物語は実話なのか

宮部久蔵が笑みをうかべたラストシーンはどういうことだったのか?

そして世間ではこの映画に対して「特攻賛美だ」「戦争賛美だ」というような批判的な意見も出たといいます。

こちらでは、私なりの感想や考察を語ってみたいと思います。

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「永遠の0」は実話なの?

結論から言うと、「永遠の0」は実話ではありません

原作者の百田尚樹氏が、実際の出来事などを参考にされたようです。

そして宮部久蔵のモデルと思われる方々がこちらです。

浜園重義さん

海軍航空隊の操縦士で、撃墜戦果をあげるなどしてエースパイロットとして活躍。

大戦末期に特攻作戦に参加し、鹿児島から出撃するも、敵機に追撃され負傷し不時着する。

その後教官として働いてたが、若い航空兵にいつまでたっても「可」を出さず実践に出さなかった

石野節雄さん

1945年4月、鹿児島県沖で戦艦ミズーリに特攻し命を絶った(当時19歳)。

敵の戦闘機の攻撃をかいくぐっての命をかけた突撃は、ミズーリ艦の艦長の心を打った。

石井節雄さんの遺体を敬意をもって旭日旗にくるみ、正式な海軍葬をしたという。

「永遠の0」あらすじ

司法試験に落ちて進路に迷う佐伯健太郎は、祖母・松乃の葬儀の日に驚くべき事実を知らされる。実は祖父・賢一郎とは血のつながりが無く、“血縁上の祖父”が別にいるというのだ。本当の祖父の名は、宮部久蔵。60年前の太平洋戦争で零戦パイロットとして戦い、終戦直前に特攻出撃により帰らぬ人となっていた。宮部の事を調べるために、かつての戦友のもとを訪ね歩く健太郎。しかし、そこで耳にした宮部の人物評は「海軍一の臆病者」などの酷い内容だった。やがて宮部の最期を知る人物に辿りついた健太郎は、衝撃の真実を知ることに…。宮部が命がけで遺したメッセージとは何か。そして現代に生きる健太郎は、その思いを受け取ることができるのか。

引用:東宝シネマズHP

「永遠の0」感想・考察(注:ネタばれあり)

私は戦争ものの映画は苦手です。

そもそも暴力的な映画がとても苦手。

でも、戦争って実際にあった(現実にもある)ことです。

見たくないけど、見なければいけないような気がしていて。

「永遠の0」も見るまでに時間が少しかかりました。

見るのはつらかったけど、見てよかったと思える映画でした。

臆病者と言われた宮部久蔵

宮部久蔵はとても優秀なパイロットでした。

しかし死ぬことを嫌がることから、周りからは「臆病もの」と言われ続けていました。

死ぬのを嫌がるって、現代で考えると当然のことです。

それが当然ではない戦争が本当に恐ろしい。

死ぬことを嫌がる宮部は、ある意味普通の感覚を持ち続けていたと言えます。

だからといって、周りの人たちがおかしかったと言いたいのではありません。

戦争が人の気持ちを変えてしまうんですよね。

周りの人たちは、「お国のために死ぬことは名誉だ」と自分自身に思い込ませていたとも思うんです。

いつ死んでもおかしくない、いつ敵から襲撃されもおかしくない、そんな状況で平静を保つのはどれだけ大変なことか。

「死ぬのが怖い」そう思い始めたら、普通の精神で戦場になんていられません。

「お国のために死ぬこと」は、「日本・家族を守ること」につながる。

そのようにも純粋に思っていたのかもしれません。

そこへ宮部のような「死ぬのが怖い」「生きて帰りたい」と言い続ける人物が現れたら。

周りの彼らは自らの精神を保つために、「臆病者だ」「恥だ」と攻撃したのでしょう。

宮部は強い人だったと映画でも語られていましたが、本当にそうだと思います。

「生きたい」と思い続けながら戦場にいるのは、精神が強くなければ平気ではいられないでしょう。

そんな強い宮部をも、戦争は精神崩壊させてしまうのですが。

なぜ最後に宮部はほほえんだのか?

宮部久蔵は最後、敵母艦に突っ込むときにニヤリと笑ったような、なんとも言えない表情をします。

これに対し、なぜ笑っていたのかと世間では話題になりました。

「これでやっと、家族のもとへ帰れると思ったから」

「腕利きの操縦士として、最後の任務を全うできたから」

など、様々な考察がとびかいました。

中でも、「死んで家族のもとへ帰れるから」だろうという意見が多かったようです。

本当にそうでしょうか。

私の解釈はちょっと違いました。

最後の笑みは、どうしても「帰れる」と思っているような顔には見えなかったんですよね。

あの最後の笑みには、戦争へのむなしさのような感情が含まれていたのではと思うのです。

宮部は、教え子を次々と特攻へ送ることになり、一度精神を病んでいます。

「俺は彼らの犠牲の上に生きながらえている!」

やつれ切った姿で、そう苦しそうに叫んでいる場面もありました。

そんな精神状態の末、最後には特攻を志願した宮部。

最後に飛行機に乗り込むときには「ようやく家族のもとへ帰れるような目をしていた」と景浦は言います。

作品の登場人物が言っているのだからそうなのかもしれないけど、私はちょっとそう見れなかったです。

私が思うに、飛行機に乗り込む時は、生に執着するのをやめた顔だったのではないかと。

どこか解放されたような、家族のことも安心できる教え子に託して、もう苦しまなくていい安堵ともいえるような顔。

そして最後、敵の母艦に突っ込むときには笑みを浮かべます。

この時の宮部の表情は穏やかとは言えず、涙目で力の入った複雑な笑みでした。

やっと家族のもとへ帰れるという笑みであれば、もっと穏やかな表情だと思うんです。

この笑みに私は、戦争のむなしさ、むごさ、非情さを感じたのです。

生きて帰ることをずっと願っていた宮部は、その願いもあきらめてしまうほどの精神状態になり。

教え子に無駄死にさせたくなくて「不可」ばかりを出していたが、結局たくさんの教え子を死なせてしまうことになり。

どうあらがっても、自分の意志ではどうにもならず死を受け入れていかなければならない戦争

この戦争のむなしさに、最後に笑うしかなかった。

戦争への怒り、あきらめ、くやしさ、自分の無力さ

そんなことを思わせるような笑み。

私はそう感じました。

特攻賛美・戦争賛美の映画なのか?

「永遠の0」に対して、「特攻賛美だ」「戦争賛美だ」と批判的な意見があったようです。

国のために命を落とす特攻隊が、強く美しく描かれているのは戦争を肯定しているようだと。

そんなに美しく描かれていたでしょうか。

私は、むしろ戦争に対する否定的な思いがより強くなりました。

特攻隊の隊員が抱える感情、見ていて本当につらかったです。

敵機を打って喜んでいる若者たちに対しても、そう喜ぶしかなかった戦争の状況をとても悲しく思いました。

特攻隊を志願する宮部をかっこいいとも、美しいとも感じませんでした。

ただただむなしかった。

そのような状況になってしまう戦争がむなしかった。

受け取り方は観る人によって変わってしまうのは、仕方ないと思います。

私の解釈が必ずしも正解ではないと思いますし、どの解釈も正解・間違いはありません。

私の解釈では、私は戦争に否定的な感情を持ったし、戦争の一つの側面を見ることができたと思っています。

ただ、この映画を観て不快に思った人も少なからずいるということは、戦争を簡単には語れないということなのかなとも感じました。

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「永遠の0」作品概要

原作は、2006年に発行された百田尚樹氏の小説「永遠の0」。

小説「永遠の0」は2014年には総売上が400万部を突破。

映画も、興行収入86億円、観客動員数700万人を突破しました。

キャスト

宮部久蔵岡田准一
佐々木健太郎三浦春馬
大石松乃井上真央
佐伯恵子吹石一恵
佐伯清子風吹ジュン
大石賢一郎夏八木勲
大石賢一郎(青年期)染谷将太
伊崎源次郎橋爪功
伊崎源次郎(青年期)濱田岳

スタッフ

監督・VFX山崎貴
脚本山崎貴・林民夫
原作百田尚樹「永遠の0」
主題歌サザンオールスターズ「蛍」

監督は、「ALWAYS三丁目の夕日」を手がけた山崎貴監督。

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