2017年に公開された松岡茉優主演の映画
「勝手にふるえてろ」
原作は綿谷りさ氏の同名小説です。
暴走ラブコメディーとうたわれたこの映画。
見ているうちに、コメディだけでは片付けられないような、イタいところを突いてくるような感じがしました。
そして、主人公ヨシカのラストの台詞「勝手にふるえてろ」は誰に言った台詞なのか?
意味はなんだったのか?などを考察していきたいと思います。
「勝手にふるえてろ」あらすじ
24歳OLイチカは、24年間彼氏がいたことがない。
イチカは中学生の時の同級生「イチ」のことを10年以上思い続けているのだ。
ろくに話したこともないイチとの思い出を、日々心の中で反芻している。
そんな中、イチカは会社の同期「二」に突然告白される。
「人生で初めて告白された!」と舞い上がるイチカだが、二に対しては感情が動かない。
返事を引き延ばすも、やはりイチへの思いが強いと確信する。
自宅でボヤ騒動を起こしたことをキッカケに、いつ死ぬかわからないなら今のイチに会わなくてはと同窓会を企画する。
イチカはついにイチと再会を果たすが‥
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「勝手にふるえてろ」考察・感想

とても変わった主人公だなとのんきに見ていたのですが、なんだか心にモヤモヤとした感情が。
これって意外と見ている側に何か突いてくる映画なのでは?
感想をつづっていきたいと思います。
イタい‥けど共感

かなり周りから浮いていると感じるヨシカ。
でも、「ヨシカは私のことだ」「ヨシカは俺のことだ」というような共感の声が多くあがったといいます。
主人公ヨシカは妄想癖があり、なんと24歳になった今も中学時代の同級生「イチ」を10年以上ずっと密かに思い続けている。
問題なのは、その初恋の相手イチとはろくに話したこともないということ。
そして中学以来会ったこともない。
ヨシカはイチとの中学生時代の思い出を反芻させながら日々を暮らしています。
思い出と言っても少し言葉を交わしたぐらいの思い出。
これを聞いただけで、けっこう変わり者な印象を受けます。
もちろん中学時代の好きな人をずっと忘れられないっていう人も少なからずいると思います。
ただ、ろくに話したこともない人をっていうのが少々問題。
時間が経つにつれて美化されているのは間違いないでしょう。
そして毎日のように思い出を振り返って陶酔しているのです。
なかなかな感じです。
じゃあなぜこんなにも多くの共感を呼んでいるのか。
これは、この恋愛事情に共感を持たれているのではなく、イチカの周りとの関わり方に共感を呼んでいるのです。
ヨシカは中学生時代のイチを思い続け、日々、名前も知らない見ず知らずの他人にイチの話を聞いてもらってる妄想をしています。
そして、妄想の中の他人は「そうなんだね」と否定せずに受け入れて話を聞いてくれています。
そしてヨシカは、現実に関わっている人たちをちょっと見下して過ごしているのです。
「私なんかが」と言いながらも「本能のまま行動してる人なんて低俗」という思いで過ごしているんです。
社内恋愛をしようとする友人のクルミにも、素直に応援せず「よく社内恋愛できるね、私には無理」というような態度。
「告白するから飲み会についてきて」というお願いにも「出木杉が落ちるとこ見たい」という斜め上からの発言。
現実に関わっている人に対して「私はあなたたちとは違う、私は違う位置にいる」というような態度なのです。
なんだか他人をなめているようですよね。
でもこれって、実は自己防衛だと思うんです。
周りと深く関わっていくことで傷つくことを恐れている。
周りと深く関われない自分への言い訳なのです。
そう、タイトルにもあるように、現実世界の自分は影で「ふるえて」いるんです。
この、傷つくことを恐れて虚勢を張る姿勢が共感を呼んでいるのではないでしょうか。
程度は違えど、虚勢を張るって誰しもやってしまうことなんじゃないかなって思うんです。
これ、自分の中のそういう部分に気づいちゃうと、自分がいたたまれなくなるんですよね。
みじめになるというか。
私も似たような感覚を感じたことがあります。
ヨシカのように態度に出してはいなくても、心のどこかで他人に対して「私は違うから」と自分を守るために虚勢を張ってしまう。
そして自ら周りとの距離を置いてしまう。
共感を持った人全員がヨシカのようではないと思いますが、心の中の弱い部分を突かれたようで、モヤモヤとした共感を集めたのではないでしょうか。
名前の重要性

名前って大事だなって改めて思います。
ヨシカは人の名前を全然覚えないのです。
これって、その人に興味がないとも受け取れます。
ここの場合、覚えたいのに覚えられないと、覚える気がなくて覚えられないを別として話します。
(歳をとると、覚えたいのに覚えられないが増えてきます‥余談ですね)
ここで言っているのは覚える気がなくて覚えない方。
二のことも、初めは電話に「きりしま」と表示されていたのに、ヨシカはわざわざ「二」と名前を登録し直します。
名前を覚える気が全くないですよね。
ヨシカはイチ以外の男性は、棒人間でも見ているような気持ちなのでしょう。
自分には関係のない、ただの棒人間。
これって、前述した周囲との関わりと距離を置いていることとも少しつながってきます。
自分を知りたいと思ってくれている人に興味を持たず、むしろちょっとバカにもしている。
これは深く関わることから逃げ、安心安全な妄想の世界にとどまっていることを意味します。
しかし、そんな安心世界にいるヨシカにも転機が訪れます。
自宅のボヤ事件。
火事になりそうになり、いつ死ぬかわからないなら現実世界に飛び出さなきゃと、ヨシカは一念発起します。
あの手この手を使って同窓会を開き、イチと再会します。
この行動力、すごかったな。
妄想の世界で過ごしてきたヨシカとは思えないくらいの行動力でしたね。
そこで、伏線回収です。
名前。
今まで周りの人の名前を覚えようとしてこなかったヨシカ。
全然興味がないから名前なんて覚えてられない。
そんなヨシカは、なんとイチに名前を覚えてもらえていなかったのです。
これは相当ショックですよね。
イチはヨシカに全く興味がなかったんだと思い知らされます。
自分が名前を覚えていない人たちと同じ立場だったということです。
「私は違う」と虚勢を張っていた場所から一気に落とされるわけです。
呆然となり自宅へ帰り、部屋に入るやいなや叫ぶように泣いたイチカは印象的でした。
名前、この作品でとても重要なキーワードでした。
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ラストの台詞「勝手にふるえてろ」の意味

最後の霧島とのシーンで、キスをする前にヨシカが独り言のように「勝手にふるえてろ」と言い放ちます。
一度目に見た時は、どういうこと?誰に言ったの?と疑問に思いました。
霧島に言ったのではなさそうです。
この映画をかみ砕いて考えているうちに、わかった気がしました。
これは、ヨシカが自分自身に言った言葉ではないでしょうか。
この霧島とのシーンは、ヨシカが霧島と向き合っていこうと決断したシーンです。
ヨシカが、自分を見て知ってくれようとする相手にやっと心を開くシーン。
これはヨシカにとってとても勇気のいる行動です。
傷つくことを恐れて妄想の世界や過去に逃げていた自分と決別するのです。
影でふるえていた自分に、「勝手にふるえてろ」と言い放ったのだと思います。
私は前に進む。
そういう決意が見えた台詞でした。
この台詞が、共感した視聴者への応援にも聞こえた気がします。
「勝手にふるえてろ」作品概要
原作は2010年発行の綿矢りさ氏の小説「勝手にふるえてろ」。
映画は第30回東京国際映画祭コンペティション部門で観客賞受賞。
「勝手にふるえてろ」キャスト
江藤良香 | 松岡茉優 |
イチ(一宮) | 北村拓海(DISH//) |
二(霧島) | 渡辺大知(黒猫チェルシー) |
月島来留美 | 石橋杏奈 |
オカリナ | 片桐はいり |
釣りのおじさん | 古館寛治 |
金髪の店員 | 趣里 |
「勝手にふるえてろ」スタッフ
原作 | 綿矢りさ「勝手にふるえてろ」 |
監督・脚本 | 大九明子 |
主題歌 | 「ベイビーユー」黒猫チェルシー |
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